■第6代 理事長
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櫻井
■スローガン

 「報恩感謝」 〜すべてに感謝し、まことをもって報いる〜

■所信

【はじめに】

 近代化によって、美しくも儚いひとつの文明が滅んだ。
江戸文明や徳川文明などと俗称される、歴史的個性としての生活総体のありようである。

「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」

これは、明治時代初期のジャパノロジスト、バジル・ホール・チェンバレンの言葉である。

いわゆる御一新(明治維新)が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振るった清算の上に建設されたことは、もはや常識である。
そして日本も、富国強兵・殖産興業をもってわざわざ富裕階級とともに貧困階級をつくりだしてしまった。
しかしながら、この蛮勇を非難することは私にはできない。

諸外国の理不尽な要求に屈した徳川幕府を倒し、天皇制への復古をはたした諸藩の愛国の志士たちは、皮肉なことに、欧米列強の進出を食い止める唯一の方法は、列強諸国をそれほどまでに強力にした原因である進んだ知識と技術を習得し、政治の秘密を学ぶことだという考えに至り、その結果、大勢の愛国的日本人たちが組織的に行動し、計画的に成し遂げたものだからである。

私たちの先祖は、自らの手で自らの文明を滅ぼした。しかし、そうすることで、この日本を護ったのである。そして、国家を「つよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をうたがうことすら知らなかった。」(『坂の上の雲』司馬遼太郎)

歴史的結果、日本はロシアに占領されずに済んだが、本来勝てるはずのない勝利を得たことで、そのオプティミズムから脱することができず、日本は物事を合理的に判断できなくなり、先の大戦(大東亜戦争)での敗戦につながったともいわれている。敗戦もまた、歴史的結果である。

 大事なのは、その後である。
敗戦から4年。GHQの政策のもと、未だ混乱収まらぬ1949年(昭和24年)、明るい豊かな社会の実現を理想とし、「新しい日本の再建は我々青年の仕事である」という覚悟のもと、日本の青年会議所(JC)運動は始まり、65年という歳月の中で輝きを増し、幾多の進化を遂げながら、2014年(平成26年)に、この北名古屋の地を照らすこととなった。
65年という月日を経ても、明るい豊かな社会は実現できていないということだったのか。答えは否である。先人たちが思い描いた明るい豊かな社会は、間違いなく実現していると断言できよう。
また先人たちの青年会議所運動により、GHQの戦後政策によって弱体化するしかないと思われた日本を、失われかけた全うな日本人の心を、世代を超えて私たちの内側からしっかりと支えてくれたのである。
先祖たちは、背骨が曲がっても田畑に這いつくばり私たちを食べさせてくれた。先人たちは、戦場で散ることになったとしても、命を賭して未来を私たちに託してくれた。そして、不断の努力により、復興と繁栄をもたらしてくれた。
感謝しかない。私たちは、その想いをしっかりと受け継ぎ、未来へ渡さなければならない。

【新時代の明るい豊かな社会】

では、今、この時代を生きる私たちが目指すべき明るい豊かな社会とは何か。

この北名古屋市において、私は、

  1.自国と地元を誇れる社会
  2.自然豊かで子どもの笑顔があふれる社会
  3.安全に暮らせる社会

の3つを目指したいと考える。

【自国と地元を誇れる社会】

 私は名古屋市西区の出である。北名古屋市との縁は、西春高校に通ったところからはじまる。当時はまだ、師勝町と西春町であった。

 2006年(平成18年)3月20日に、旧師勝町と旧西春町が合併して北名古屋市は誕生した。
その旧師勝町は5つの村から、旧西春町は3つの村から成立した。

「むら」とは、自然に集まる様子を指す。それを表す動詞が「むらがる」である。つまり、村とは、自然の営みの一環として人家が密に集まっている様子を指すのである。

 そして、町になった。「まち」とは、「区切られた一区画」のことである。本来は区切りを持たないものを直線で区切ることで、機能的あるいは平等な状況を作ろうとする意志が感じられる「まち」は、理性を持つ人間だけが作ることのできる合理的な区画なのだ。

 さらに、市になった。「いち」である。合理的な区画がさらに発展し、人や物の交流の場となった。「いちば」である。市場は、商業が盛んであり、すなわちそこには仕事があり、人・物・金が集まるところである。
北名古屋市の誕生から14年となる2020年(令和2年)においても、完全に「市」になれたとはいえないと思っている。なぜなら、北名古屋市は尾張の生活都市としての魅力により人口が増加したものの、その消費活動は、市外であることがほとんどであるからである。
これまでの『北名古屋市 まち・ひと・しごと創生 総合戦略』にもあるように、企業誘致等の政策により、工業面においては目標を達したといえるかもしれないが、商業面、特に市民の消費活動・購買意欲・投資意欲が高まるようなものが少なく、弱いと感じてしまう。市内でお金を落としてもらえるようになるということは、市民から支持され、誇られ、愛市精神が育まれることにつながるとともに、市内における需要を高めることは、デフレの脱却にも寄与することとなるため、青年会議所としても、その方法を探求・実践していきたい。

【自然豊かで子どもの笑顔があふれる社会】

 北名古屋市では、農地が市域の約2割を占め、水辺や田園風景も残っているが、第1次産業の就業者数は1%余りである。「町」から「市」になったことにより、商工業に重きが傾いていくのは、自然な成り行きでもある。市外から転入した現役世代・子育て世代は、北名古屋市に田畑を所有していない。そこに、市民生活と自然環境との乖離が生じ、広がってしまっている。農業と商工業は、両立併存できないのであろうか。
そんなはずはない。これまで日本を訪れた多くの著名な外国人が、田園と日本農業のありかたに唸った。「農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない」。「このような立派な稲、このような良質な米を見たことがない」と。

 すなわち、水田や稲穂自体が、昔から観光資源になり得るものであり、そこに住む者のアイデンティティにも深く関係するものなのである。なるほどたしかに、たわわに実った黄金色に輝く稲穂は美しい。農業は、機械化が進んでいるとはいえ、それでも稲作それ自体を通じて生まれた「和」を大切にする地域コミュミティの発展に寄与し、人付き合いや助け合いといった、「行き過ぎた個」によって失われかけているものを育むことができる。個人主義と利己主義を、履き違えてはならない。時として、個人が共同体のために己を滅して盡さなくてはならないこともあるが、「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、まったく驚くべき事実である」と称賛されているのもまた事実である。
「世の為、人の為に真心を盡す」という日本人の精神性は、稲作を通じて育まれてきた。春の祈年祭で五穀豊穣を祈るのであるが、天災などでたとえ収穫がほとんどできなかったとしても、「せっかく祈ったのに。もう神様なんて信じない」ではなく、「こんなに酷い年だったのに、これだけでも採れました。ありがとうございます」という、どうしようもないことも真摯に受けとめ、前に進む強い心をも培ってきたのだ。

 青年会議所として、稲作を通じ、お米と、目に見えない大切なものを育てる取り組みを続けていきたい。そして、これらを通じて、全うな日本人の心を育んだ笑顔あふれる子どもたちが、主権者意識をもって、将来、この国とこの市のために真心を盡してくれたら、これほど嬉しいことはない。

【安心・安全に暮らせる社会】

天地の 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を
   ‐1933年(昭和8年)昭和天皇御製‐

 近年、地震や台風などの自然災害による罹災・被災の規模が大きくなっているように感じる。それはおそらく、建設技術などが発達し、インフラがより整い、国土が強靭になったことで、以前のような小さな罹災・被災は少なくて済むようになった半面、罹災・被災を経験する回数も減り、インフラに対する過度な信頼も相俟って、ある程度は大丈夫であろうという心のゆるみと、気候変動により想定以上の災害が増えたからであろう。罹災・被災してしまったときの被害は、ご存知のとおり甚大である。

 「住む」の語源は、「澄む」。心が安定し、澄んだ状態になること。災害に負けない生活都市となり、北名古屋市に住むことが安らぎとなり、心が澄んで、普段の生活においても、たとえ悲しいとき、疲れたとき、落ち込んだときも、毎日元気に朝を向かえ、仕事に、勉強に精を出すことができる生活都市であれるよう、青年会議所としても協力していきたい。

【組織と会員】

 空蝉の 唐織衣 何かせむ 綾も錦も 君ありてこそ
 ‐和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)‐

 忙しさがピークになると、家庭を蔑にしがちになってしまうことも多いと思う。まさに、その文字が表すとおり、心を亡くした状態だ。家庭は社会の最小単位であるから、家庭を蔑にするということは、社会を蔑にしているのと同じであるといえる。その度に私は、この歌を思い出す。
私は思う。新時代の明るい豊かな社会を実現するために最重要なことは、生活の浦安であると。生活とは、家庭・仕事・JCである。
家庭は仕事とJCを支え、仕事は家庭とJCを支え、JCは仕事と家庭を支える。この3つの、どれが欠けても人生は豊かにはならない。逆に言えば、この3つを大切に、手放すことなく守れた者は、本当の豊かさを手に入れることができるのだ。それが真実であることは、先輩方を見れば明らかである。まったくもって、言うは易く行うは難し、であるが、私たちは、先輩方に倣ってその豊かさを手にしよう。
そして、その豊かさを手に入れる手段がここにはあるということを、一人でも多くの青年に知ってもらい、品位をもって拡げていこう。
組織の拡充と会員の増強こそ、明るい豊かな社会の実現への近道なのだ。
また何より、会員一人ひとりが、「君ありてこそ」である。何にも代え難い大切な存在なのだ。誰一人欠けてはいけない。欠けてしまったら社会の損失甚だしいということを再認識し、自愛してほしい。ここには仲間がいて、支えてくれるのだ。この1年、一緒に成長していこう。

【むすびに】

 たしかに、近現代は、すべての価値を物やお金に置き換えた物上至上主義と拝金主義が蔓延していた。しかし、大量生産・大量消費の時代は終わり、新たな時代へと移る。時代は螺旋階段上にスパイラルアップしてゆき、歴史は繰り返すといわれているが、私たち日本人は、すでに目に見えないものを大切にする価値観を有し、文明を経験しているではないか。かつての日本が「貧乏であっても貧困ではなかった」かどうかということは、経済指標などでは測れない。また、過去を美化するだけでもいけない。
しかし、その当時の時代の変わり目に立ち会った多くの外国人たちの目には、「残したい」国、「残したい」文化として強く写ったのはまぎれもない事実なのである。文明は滅んだが、文化は滅んでいないし、民族の特性も滅んでいない。
世界の民族研究から歴史学者アーノルド・ジョゼフ・トインビーが挙げた

  Ⅰ.自国の歴史を忘れた民族は滅びる
  Ⅱ.すべての価値を物やお金に置き換え心の価値を見失った民族は滅びる
  Ⅲ.理想を失った民族は滅びる

という、滅亡する民族の3つの共通点が、各界の著名人から引用・紹介され、あまりにも有名になった。今の日本がこれに当てはまるとして、危惧されている。
しかし私は絶望していない。日本は滅びない。青年会議所という若き団結があり、新しき世紀の希望となり、祖国の進歩の力となっているからである。
これからの新時代には、歴史から学び、愚行を繰り返すことなく、大切なものを取り戻し、その上で、しっかりと判断・決断し、未来を選択してゆけばよいのだ。青年会議所として、そのお手伝いができたら嬉しい限りである。

 青年会議所の会員は、つまりJAYCEEは、公人である、とよくいわれる。「公(おおやけ)」とは、「大宅(おおやけ)」、つまり大きな家のことである。この言葉は、私たちの心を大いに刺激してくれる。それは、日本国民全体が1つの大きな家に住んでいる、さらには、世界中の人々が1つの大きな家で暮らしている、というイメージを持てるからである。このイメージを持っていれば、私たちは、より真剣に、そして他者への思いやりを忘れずに、大きな家を代表する人として、議論や思索、活動・運動をしていけるのではないかと考え、実践したい。